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京都お散歩

  • 執筆者の写真: トモヤ
    トモヤ
  • 11月1日
  • 読了時間: 2分

たまには施術に関係ない記事です☆


いい季節なので久しぶりに京都にお散歩へ。


三十三間堂では壮観な1000体以上あるたくさんの仏像は有名ですが、そのながーい廊下?縁側?で端から端まで弓矢を打ちまくる競技を行っていたそうで、今も一本だけ屋根に矢が刺さったまま残っています。


残念ながら内部は撮影禁止です☆
残念ながら内部は撮影禁止です☆

一昼夜、1分に9本という驚異的なペースで1万本以上打ちまくるとのことで昔の人は尋常でない体力があったことが分かりますね。それにそんな矢を打ちまくって壊れない建物も凄いですね。


見にくいけど矢が刺さってます
見にくいけど矢が刺さってます


京都で応仁の乱以前からある建物は、この三十三間堂含め4つしかないそうです。応仁の乱がなければもっと歴史的建造物が残っていたのでしょう。これだけの仏様があったから難を逃れたのかもしれませんね。



三十三間堂からほど近い方広寺へ。なかなかイケメンな秀吉様が鎮座しています。

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ここは豊臣方が作ったお寺で、歴史の教科書にも出てくる鐘に書かれた「国家安康」の文字が「家康を切る」に通じると徳川がいちゃもんをつけて大阪の陣のきっかけになったお寺です。


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今は見えやすいように印をつけてくれていますが、実際には漢字だらけの超小さい文字の長文お経のような中にある文字で、よー見つけたというか、何としてでもいちゃもんを付けたい執念を感じます。


そして今回一番行きたかったのは、まず誰も行かないような方広寺の裏にある、一見なーんもない公園です。ここは実は仏像跡公園で、秀吉さんや家康さんが京都にも奈良の大仏のような大仏を(奈良よりデカかったそう)作った場所なのですが、完成直後に地震壊れ、再建中には火事で焼け、なんとか再建したものの再度落雷で焼失してしまったそうです。


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なので焼失していなければ、京都にも奈良の大仏のような大仏があって今も名所であったはずですが、今や土台や柱の跡が残るのみとなっています。


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そんな災難続きなってしまうなんて、仏様なのに運がないのか、はたまた民衆の身代わりとなって難を受けてくれたのか。分かりませんが跡地で想像だけで楽しむ大仏さんも乙なものでありました。


近所の和菓子屋さんでは「大仏焼き」というまんじゅうを売っていますが、こんがり焼き目が付いています。これは大仏様が焼けてしまったことを表しているそうです。(写真撮り忘れた^^;)


ありがたい事に京都には日帰りで行けますが、何やら来年から京都は宿泊税が1万円になるというトンデモないことになっているので京都に遊びに行きたい方はお早めに☆

 
 
 

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